江戸時代

特徴

徳川将軍家が日本を統治していた時代、1603年に征夷大将軍に任命された徳川家康が江戸(東京)に幕府を開き、第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還をするまでの265年間。鎌倉幕府、室町幕府の失敗を踏まえ、将軍を助ける老中という役職を複数おくなど、権力の集中を防いだ。また、参勤交代をさせることで、大名の力を弱めるなどした結果、安定した政治を行う事ができた。黒船来航などの影響で、尊王攘夷の声が高まり、第15代将軍徳川慶喜で終わりを迎える。

重要ワード

徳川家康・・・征夷大将軍として江戸幕府をひらく。家康は将軍職を秀忠に譲った後も大御所として政治の実権を握った。この時、大阪城には秀吉の息子、豊臣秀頼が存命。

関ヶ原の戦い・・・美濃(岐阜県)の関ケ原で徳川家康の東軍と石田三成の西軍が戦い、東軍が勝利を収めた戦い。この結果家康の全国支配が確立する。天下分け目の戦いともいわれる

石田三成・・・豊臣秀吉に仕えた武将。豊臣秀吉に気に入られて家来となり、事務方として外交を担当。五奉行となって、豊臣政権の中核を担い、太閤検地、朝鮮出兵などで活躍した。

大坂夏の陣・・・1614年に家康が口実を設け、豊臣秀頼(秀吉の息子)を倒そうと大阪城を攻撃するが失敗(大阪冬の陣)。講和が成立するが、幕府がこれを無視したため大阪夏の陣がおこる。秀頼とその母である淀君が自殺し豊臣家が滅ぶ

鎖国・・・島原・天草一揆の後、キリスト教禁止を徹底させたい幕府がポルトガル船の来航を禁止する。また、貿易の拠点として平戸のオランダ商館が鎖国政策によって長崎の出島に移される。これによって出島だけがヨーロッパの文化の入り口となる。3代将軍徳川家光の時に完成

朱印船貿易・・・朱印状という許可状が与えられた船のみが入国を許された貿易

禁教令・・・徳川家康がキリスト教を弾圧するために出した命令(法令)

島原・天草一揆・・・九州の島原・天草地方でキリシタン農民らが天草四郎を頭としておこした一揆。領主のキリシタン弾圧と重税が原因。幕府は大軍を送り、1638年に鎮圧される

 

朝鮮通信使・・・秀吉の朝鮮侵略以来途絶えていた朝鮮との交流を再開。朝鮮通信使は将軍が変わるごとに派遣され、計12回の使者が来日

武家諸法度・・・徳川秀忠が大名(1万石以上の領地をもつ武士のこと)、旗本・御家人(将軍直属の家来で1万石以下の武士)の統制のために発布、幕府の許可なしに城を修理したり婚姻関係を結んだりすることを禁止した。背いた大名は領地を没収されるなど厳しく処分された。また、一国一城令(一国に城を一つまでにしなければならないという命令)などを出して、厳しく取り締まった。また、天皇や公家に対しては禁中並公家諸法度をだした。

徳川家光・・・江戸幕府3代将軍。参勤交代の制度化、田畑売買禁止令、慶安御触書、寛永通宝の鋳造などを行い、江戸幕府の諸体制を整えた。封建的支配体制の強化を進めるため、キリスト教を禁止し、1639年に鎖国を完成させた。

参勤交代・・・徳川家光が武家諸法度(1615年)を改定して参勤交代の制を定めた。大名は一年おきに領地と江戸を往復し、妻子は人質として江戸の屋敷に住むことを義務付けた。これにより大名の財政は苦しくなる

 

慶安の御触書・・・江戸幕府が農民統制のために1649年に発令した法令

五人組・・・農家五軒を一組とし、組内でたがいに見張らせたり、共同で責任を取らせたりした制度

生類憐みの令・・・戌年生まれだった徳川綱吉が犬をはじめとする動物の保護を命じた。綱吉は犬公方とも呼ばれ、違反したものは厳しい処罰を受けるなど人々の不満は大きかった。また、綱吉は貨幣の流通量を増やすため貨幣の質を下げた結果、物価が上がり人々は苦しんだ

徳川綱吉

正徳の政治・・・6代将軍徳川家宣・7代将軍徳川家継に仕えた新井白石が行った文知政治、貨幣の質をよくしたり、長崎の貿易を制限したりして財政を立て直そうとした

新井白石

士農工商・・・身分制度。武士、農民、職人、商人の順に偉いとされた

封建制度・・・君主の下にいる諸侯たちが土地を領有してその土地の人民を統治する社会・政治制度

享保の改革・・・徳川吉宗が家康の頃の政治を手本に始めた改革。武芸や質素・倹約の奨励、新田開発、足高の制(人材確保)、上げ米の制(大名に石高1万石につき100石の米を献上させる代わりに参勤交代の江戸在府期間を半年した(本来は1年))、目安箱の設置などを実施した。

目安箱・・・徳川吉宗によって設置された庶民の要求・不満などを投書させるための箱

徳川吉宗

 

公事方御定書・・・裁判の基準となる法律、江戸の町奉行大岡忠相らが編さんにあたった幕府の基本法典。上下2巻に分かれており、下巻は御定書百箇条ともいう

田沼意次・・・徳川家重・家治に仕えた老中、株仲間(同業者同士の組合)の公認や印旛沼(千葉県)の干拓、長崎貿易の奨励、蝦夷地の開発などを行うが、わいろが横行し政治が乱れる。

解体新書・・・医者の杉田玄白と前野良沢らがオランダ語の人体解剖書を日本語に翻訳し、解体新書として出版、後の蘭学の発展につながる

杉田玄白

寛政の改革・・・11代将軍徳川家斉のもとで老中松平定信が徳川吉宗を手本にしておこなった改革、倹約令、棄捐令(借金を帳消しにする法令)、囲米の制(大名に1万石につき50石のコメの備蓄を命じる制度、天明の大飢饉を反省しての制度)、寛政異学の禁(朱子学以外の学問の講義を禁止とした)などがあるが、人々の反感をまねき失敗する

松平定信

大塩平八郎の乱・・・元大坂町奉行所の役人、天保の飢饉に対する町奉行の無策や大商人の不正に怒り、乱を起こした。乱は一日で鎮圧されたが、各地で一揆や打ちこわしが起こった

天保の改革・・・12代将軍徳川家慶のもとで水野忠邦が幕府政治の立て直しをはかった。株仲間の解散、倹約令、人返し令(江戸の人口を減少させ、農村部の人口を確保しようとした)、上知令(幕府による土地没収の命令)などを出したが失敗に終わる。

黒船来航・・・1853年、東インド艦隊司令長官であるペリーがアメリカ合衆国大統領の国書をもち、浦賀に4隻の軍艦を率いて来航し開国を求める、幕府は翌年解答することを約束し、ペリーを引き取らせた

安政の大獄・・・江戸幕府が行った弾圧、幕府の大老井伊直弼や老中間部詮勝が勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、将軍継嗣を徳川家茂に決定したことに対して反対した者たちを弾圧した、吉田松陰ら多くの反対派が処罰された。

井伊直弼

吉田松陰

勝海舟・・・幕末・明治時代の政治家。蘭学・兵学を学び、1860年に幕府使節とともに、咸臨丸を指揮して渡米。幕府海軍育成に尽力する。幕府側代表として西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を実現。明治維新後、海軍卿・枢密顧問官などを歴任した。

尊王攘夷・・・天皇を尊ぶ(尊王論)と外国を打ち払う(攘夷論)を合わせた思想

西郷隆盛・・・江戸後期から明治時代に活躍した武士、政治家。尊王攘夷派対策で島津久光の怒りにふれて流罪にされるが、その後、藩政の主導権をにぎり、坂本竜馬の仲介で倒幕の薩長同盟をむすぶ。4年戊辰戦争を指導し、江戸城の無血開城を実現。新政府の陸軍元帥兼参議となるが、征韓論などで大久保利通らと対立。西南戦争をおこし敗れて自殺した。

大久保利通・・・薩摩藩下級藩士に生まれる。西郷隆盛らとともに、王政復古のクーデター、武力による幕府打倒の実現に奔走した。明治政府では参議、大蔵卿を務め、廃藩置県など近代国家の基盤固めを進める。岩倉遣外使節団の一員として欧米を回り、帰国後、征韓論を巡る政府内の対立をきっかけに、盟友の西郷隆盛と決別。その後、参議兼内務卿として政権を掌握し、地租改正や殖産興業などを推進する一方、佐賀の乱や西南戦争などの士族反乱は冷徹に鎮圧した。最後は政府に不満を抱く士族らによって東京・紀尾井坂で暗殺された。

坂本龍馬・・・土佐高知藩の郷士。1862年高知藩の政策にあきたらず脱藩し勝海舟の門に入り神戸海軍操練所の設立に尽力。幕政が反動化したあと、勝の紹介で西郷隆盛をたより鹿児島藩に保護され,その援助で亀山社中(後の海援隊)を組織。1866年薩長同盟を介して討幕派の結集に成功。第2次長州征伐では長州藩海軍を指揮。天皇を頭とする議院制の構想をいだき,山内豊信を説いて1867年大政奉還を実現させた。京都で中岡慎太郎とともに見廻組の刺客に暗殺された。

薩摩藩・・・現在の鹿児島にあった藩

長州藩・・・現在の長崎にあった藩

薩長同盟・・・薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允らが土佐藩出身の坂本龍馬らの仲立ちで結んだ同盟、以後互いに協力して倒幕運動を行っていく

木戸孝允・・・幕末・明治の政治家。長州生。別名は桂小五郎。西郷隆盛・大久保利通らと薩長連合の密約を結び、倒幕勢力の結集を計った。維新後は明治政府の中枢に参画した。

大政奉還・・・土佐の前藩主山内豊信のすすめで江戸幕府15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上※下の写真は二条城二の丸御殿

徳川慶喜

王政復古の大号令・・・政権が朝廷に返上されたことを知らしめ、天皇を中心とする新政府を樹立、江戸幕府が滅亡する

戊辰戦争・・・1868年の戊辰の年1月から翌年5月にかけて、維新政府軍と旧幕府派との間で行われた内戦(鳥羽・伏見の戦い、上野の彰義隊の戦い、会津戦争、箱館戦争など)の総称。

主な天皇

後陽成天皇・・・豊臣秀吉の天下統一、徳川家康の幕府開幕の時期の天皇。秀吉との関係はよかったが,家康には朝儀にまで干渉をうけた。

孝明天皇・・・1854年の日米和親条約は許したが,1858年の日米修好通商条約勅許は拒否。攘夷の立場をとる。以後積極的に政治に関与し、1860年に皇妹和宮(かずのみや)を14代将軍徳川家茂に降嫁させ、公武合体による皇位の優位を目ざした。

文化

本居宣長・・・江戸時代中ごろの国学者。伊勢松坂の生まれで、京都へ出て医学を学び、松坂へ戻り医者となった。「古事記」や「万葉集」などの古典の研究を行い、特に「古事記」の研究に力をそそぎ、35年をかけて「古事記伝」をあらわした。国学を大成させた人物といわれている

伊能忠敬・・・江戸時代の商人、天文学者・地理学者・測量家1800年から1816年まで17年かけて日本全国を測量して「大日本沿海輿地全図」(日本地図)を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。

元禄文化

  • 浮世絵(菱川師宣)
  • 装飾画(尾形光琳)
  • 小説(井原西鶴)

  • 俳諧(松尾芭蕉)

  • 浄瑠璃(近松門左衛門)
  • 歌舞伎

化政文化

  • 葛飾北斎(富嶽三十六景)

  • 歌川(安藤)広重

  • 東海道五十三次
  • 滝沢馬琴
  • 南総里見八犬伝
  • 十返舎一九
  • 東海道中膝栗毛

江戸町人文化

日本の歴史〜YouTube大学

江戸時代 徳川幕府

 

江戸〜明治時代 明治維新

歴史

前の記事

安土桃山時代

次の記事

明治時代