平安時代

特徴

794年、桓武(かんむ)天皇が長岡京から平安京に都を移してから、1185年に鎌倉幕府が開かれるまでの時代。この時代に政治の実権が貴族から武士へと移行した。平安時代末期に朝廷から独立した地方政権である鎌倉幕府が成立し、平安時代は終わりを迎える。

源平合戦・・・武家の棟梁である源氏と平家との間で、1177年から1185年にかけて日本全国で起こった数々の戦争の総称

重要ワード

坂上田村麻呂・・・桓武天皇より征夷大将軍に任命され、大和朝廷が異民族と見なしていた東北地方に住む「蝦夷」(えぞ)を平定した。

平安京(京都)・・・天武天皇の血筋から天智天皇の血筋に変わった光仁天皇の後を継いだ桓武天皇により遷都。当時力をもち始めた寺院(奈良)から離れ、朝廷の権力を確保しようとして平城京から長岡京に遷都するが、疫病や祟り、大雨などに悩まされ、遷都十年にして平安京に遷都する。

最澄・・・新しい仏教を元に国を治めたい桓武天皇によって唐で学び、帰国後、天台宗を開く。比叡山に延暦寺を立てる。

空海・・・唐で密教を学び、真言宗を開く。高野山に金剛峰寺を立てる。

遣唐使廃止・・・菅原道真が自らが遣唐使として流されるのを阻止するために廃止する

菅原道真・・・平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。宇多天皇、醍醐天皇に信頼され昇進し、醍醐天皇の時代に右大臣になった。遣唐使を廃止した人物。左大臣 藤原時平のたくらみにより、家族ともども九州の大宰府へ流され、903年に大宰府で死亡。現在の太宰府天満宮に葬られた。「天神さま」と呼ばれ、学問の神とされる。道真の死後、災害がたくさん起こったため、朝廷を祟ったとされ、怒りを鎮めるために京都の北野天満宮をはじめ全国に天満宮が作られた。

平将門の乱・・・関東で平将門が領地争いからおじにあたる国香を殺し、常陸国の役所を襲撃、関東を支配した将門は自らを新皇と称して自分の一族を国司に任命した

藤原純友の乱・・・瀬戸内海で始まった、藤原純友ら地方任官された人々と朝廷との戦い。 同時期に関東で起こっていた平将門の乱と合わせて承平天慶の乱と呼ばれることもある。小野好古や源経基らによって941年に鎮圧される。

藤原道長・・・1016年に摂政となる。藤原氏の全盛時代。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の歌が有名

前九年の役・・・陸奥国の豪族安倍氏が国司に対しておこした反乱、源頼義・義家の父子が東国の武士を率いて、出羽国の豪族清原氏の助けを借りて平定した。以降、清原氏が安倍氏に代わって栄える

後三年の役・・・東北地方の豪族であった清原氏の内紛、源義家が関東の武士を率いて沈める。その後、清原氏に代わり、奥州藤原氏が支配するようになり、平泉に中尊寺金色堂を建造する

白河天皇(上皇)・・・1086年院政を始める。後三条天皇の譲位を受けて、18歳で即位。実仁親王薨去の翌年に、8歳の自分の皇子を皇太子にし、その皇太子を即座に堀河天皇として即位させて自らが上皇となる。まだ幼い天皇の代わりに親である上皇が政治を行う(院政)。40年以上院政を行った結果、摂関家の勢力が衰えた。

保元の乱・・・鳥羽法皇の死後、皇位継承をめぐっておこった崇徳上皇と後白河天皇の対立、天皇方が平清盛や源義朝らの活躍で勝利する。この後、武士が政界に進出していく

平治の乱・・・保元の乱の後におこった平清盛と源義朝の勢力争い、源義朝が破れ、その子源頼朝は伊豆(静岡県)に流された。平清盛は1167年に太政大臣になり、平氏が全盛の時代となる

平清盛・・・平治の乱で源氏に勝ち、武士として初めて太政大臣となった。娘である徳子を高倉天皇のきさきにし、その子を安徳天皇として即位させ、自分は天皇の祖父として権力をふるった

源氏の反撃

源義経・・・平治の乱で父が敗死し鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げた際、共に戦い、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦で平氏を滅ぼした。最大の功労者であったが、その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって兄・頼朝の怒りをかい頼朝と対立、朝敵とされる。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県で自刃した。

源頼朝・・・父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ配流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると北条時政、北条義時などの坂東武士らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧。源義仲や平家を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼし1192年に征夷大将軍に任命される。朝廷と同様に京の都中心の平家政権とは異なり、東国に独立した武家政権を開き、後の鎌倉幕府となった。頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の血筋は断絶し、北条義時が鎌倉幕府の支配者となった。

 

壇ノ浦の戦い・・・1180年に以仁王から「平氏を討て」との命令を受けた源頼朝が伊豆で兵をあげる、頼朝の派遣した義経らが一の谷の戦いや屋島の戦いで平氏を破り、壇ノ浦の戦いでついに平氏を滅ぼした

 

守護と地頭・・・平氏を滅ぼした後、頼朝と義経が争い(後白河法皇によって朝敵となるなど翻弄される)がおき頼朝が勝利、義経逮捕を口実に国ごとに守護(軍事・警察や御家人を統率)、荘園・公領ごとに地頭(荘園・公領の管理や年貢の徴収)を置いた

主な天皇

桓武天皇・・・長岡京から平安京に都を遷した天皇。坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍に命じた。

嵯峨天皇

後三条天皇・・・藤原氏を外戚としない天皇。公明正大な荘園整理を行う。これにより藤原氏による摂関時代が終わりを迎える。

白河天皇・・・後三条天皇の譲位を受けて、18歳で即位。実仁親王薨去の翌年に、8歳の自分の皇子を皇太子にし、その皇太子を即座に堀河天皇として即位させて自らが上皇となる。まだ幼い天皇の代わりに親である上皇が政治を行う「院政」を行った。

国風文化

  • 寝殿造り
  • かな文字による文化
    • 古今和歌集(紀貫之ら)

    • 枕草子
      • 清少納言・・・966年頃に有名な歌人だった清原元輔(もとすけ)のもとに生まれる。中宮定子に仕え、宮廷で過ごした間に見聞きしたものをまとめて『枕草子』に記す。

    • 源氏物語
      • 紫式部・・・学者をしていた藤原為時のもとに生まれる。漢文が得意。『源氏物語』は執筆中も宮中の多くの人に読まれ、宮仕えをしている最中に完成した。

  • 大和絵・絵巻物
  • 平等院鳳凰堂

まんが日本の歴史

桓武天皇と平安京-坂上田村麻呂の蝦夷平定

摂関政治のはじまりー燃える応天門

藤原氏の独裁政治-菅原道真の怨霊

平将門の乱-立ち上がる地方の豪族

花ひらく王朝文化ー清少納言と紫式部

武士のおこりー荘園と藤原氏の衰え

保元・平治の乱ー貴族と武士の争い

 

栄える平氏-後白河法皇と平清盛

源氏の旗あげー源頼朝と東国武士

源平の合戦-義経の奮戦と平氏滅亡

鎌倉幕府の成立-武家政治と封建制度

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