奈良時代

特徴

天皇家(聖武天皇)を中心に藤原氏(藤原野不比等、藤原四兄弟、藤原野仲麻呂、藤原百川)、反藤原氏(長屋王、橘諸兄、道鏡)の政権交代を繰り返す時代

重要ワード

平城京(奈良市)・・・文武天皇とその母の元明天皇が律令制にもとづいた政治を行うために藤原京(奈良県橿原市)から都(天皇のいる住む場所)を移動させた。当時栄えていた唐(中国)の長安という都をモデルにした。

三世一身の法・・・農民の逃亡や自然災害などで田が荒れ、口分田が不足したため、新しく開墾した田地を3世代まで私有を認めた、これにより公地公民の原則がくずれる

墾田永年私財法・・・一定の面積に限り、開墾した土地の永久私有を認めた、大寺院や貴族が私有地を広げ公地公民の原則がくずれた、私有地は後で荘園と呼ばれるようになる

荘園・・・その地の実力者による私有地(大化の改新で出された改新の詔は、公地公民の考えで土地や民は国家のものだった)

長岡京・・・既存の仏教勢力や貴族勢力と距離を置くために都を現在の京都に移動させる

長屋王・・・天武天皇の孫。藤原不比等(ふひと)の死後、最高位の左大臣となって政権を担当。三世一身(さんぜいっしん)の法など中央集権国家としての律令制のための政策を実施する。藤原四兄弟によって謀反の疑いをかけられ自殺する(長屋王の変)。藤原4兄弟は藤原4子政権を樹立したが4人とも天然痘にかかり死没する。

藤原氏・・・飛鳥時代の藤原鎌足(中臣鎌足)を祖とする神別氏族で、多くの公家を輩出。1200年以上もの間、廷臣の一大勢力であった。

東大寺・・・奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺

行基・・・飛鳥時代から奈良時代にかけての僧。民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成、近畿を中心に広く人々に仏教を説いた。また、数々の社会事業を各地で成し遂げた。当時、朝廷からの弾圧や禁圧を受けたが、民衆の圧倒的な支持を得て、最終的には大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。

鑑真・・・日本からの要請を受け、仏教を伝えるために来日した中国の僧。当時の船旅は非常に危険だったため、弟子が誰も希望しなかったため、自ら日本に向かう。743年から11年の間に5回の渡航を試みるがすべて失敗。753年に成功。この時には、5回目の渡航による影響で両目を失明していた。鑑真が日本に行くまでに海路・陸路において36名が命を落とし、200名以上の弟子が彼の元を去ったといわれている。

主な天皇

聖武天皇・・・天武天皇の血筋。唐の文物や制度を採り入れて国政の充実に努める。仏教を深く信仰し、国ごとに国分僧尼寺を建立し、自ら書写した経文を納めた。東大寺を建立し、奈良大仏を鋳造して天平文化をつくる。

称徳天皇・・・孝謙上皇(東大寺を建てた聖武天皇と光明皇后の娘)が764年に再び即位したときの名前。仏教を中心とした政治を推し進める。自分の病気を呪術によって直した道鏡を重用し、道鏡は宗教界の最高の位である法王となる。道鏡はこの後、自らが天皇になろうと、宇佐八幡宮神託事件(道鏡を天皇にするようにお告げがあったとし、朝廷が混乱する)を起こすが、称徳天皇の道鏡に対する信頼は揺らがなかったといわれる。

光仁天皇(こうにん)・・・称徳天皇が亡くなった後に即位した天皇。 天武天皇ではなく、天智天皇の子孫にあたる。

桓武天皇・・・光仁天皇(白壁王)の第一皇子として誕生た。天智天皇の血筋。当時の天皇は天武天皇の血筋である聖武天皇や孝謙天皇=称徳天皇。平城京から長岡京、平安京と二度の遷都を行う。また、蝦夷討伐を行い、坂上田村麻呂らの活躍により志波城(岩手県)を建設する。

天平文化

  • 古事記
  • 日本書紀
  • 東大寺の大仏(奈良)

  • 正倉院
  • 万葉集

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鑑真和上の来日-遣唐使と中国文化

道鏡の野心-貴族と僧侶の争い

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