これで完ぺき!理科の総まとめ(生命の連続性)
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生物のふえ方
生殖
生物が子をつくること。無性生殖と有性生殖がある。
無性生殖
1つの個体が単独で新しい個体を形成する生殖。無性生殖では親と子の形質(形や性質)はすべて同じになる
無性生殖の例
有性生殖
雌と雄の生殖細胞の受精による生殖。
動物の有性生殖
卵
雌の卵巣でつくられる生殖細胞
精子
雄の精巣でつくられる生殖細胞
生殖細胞
精子、卵などの子孫を残すための特別な細胞
受精
精子の核と卵の核が合体すること。受精した卵を受精卵という。
胚
受精卵が細胞分裂をして、自分で食物をとることのできる個体になるまでの状態。
発生
受精卵から成体になるまでの過程
植物の有性生殖
受粉
花粉がめしべの柱頭につくこと。受粉すると花粉から胚珠に向かって花粉管がのびる。
精細胞
花粉管の中にある生殖細胞
卵細胞
胚珠の中にある生殖細胞
受精
精細胞の核と卵細胞の核が合体すること。受精した卵を受精卵という。
植物の有性生殖のながれ
1. 花粉が柱頭につく(受粉)
2. 胚珠に向かって花粉管がのびる
3. 花粉管の先にある精細胞が卵細胞と合体して受精卵ができる(受精)
4. 受精卵が細胞分裂をして胚になり、胚珠は種子になる
細胞のふえ方
ソラマメの根の伸長
細胞分裂
1個の細胞が2つに分かれて2個の細胞になること。からだをつくる細胞の細胞分裂を特に体細胞分裂という。植物の根の先端にある成長点で観察することができる。
染色体
細胞の核の中にあるひものようなもの。生物の形質(形や性質)を決める遺伝子がある。
減数分裂
生殖細胞をつくるときにおこなう染色体数が半分になる特別な細胞分裂。子は親から半分ずつ染色体を受けつぐ。
減数分裂のモデル
有性生殖と無性生殖の遺伝
遺伝
形質が子やそれ以後の世代に表れること
染色体
細胞の核の中にあるひものようなもの。生物の形質(形や性質)を決める遺伝子がある。
遺伝子
形質の元となるもの。
無性生殖の遺伝
子と親は同じ遺伝子を受け継ぐため、同じ形質をもつ。※無性生殖では遺伝子の組み合わせが変化せず、クローンができる。
有性生殖の遺伝
子は両親から遺伝子を受け継ぐため、形質は同じときも異なるときもある。
メンデルの実験
メンデル(1822〜1884年)
オーストリアの神父、メンデルは修道院でエンドウを栽培し、8年間にわたり遺伝の実験を行い、遺伝学の基礎を築いた。彼の功績が認められたのは死後16年のことであった。
純系
自家受粉を繰り返しても親と形質が変わらないもの
自家受粉
同一個体で受粉すること。⇔他家受粉
対立形質
どちらか一方の形質しか現れることのできない対をなす形質。(例)エンドウの種子(丸orしわ)、マツバボタンの花の色(赤or白)
メンデルの実験内容
エンドウの種子の形に着目し、丸の純系としわの純系を受粉させて子をつくり、その子を自家受粉させて孫をつくった。
メンデルの実験結果
1. 対立形質を持つ純系どうしをかけ合わせると、子には一方の親の形質しか現れない。(顕性の法則)
2. 1でできた子どうしをかけ合わせてできた孫には、子で現れなかった親の形質が現れた。
メンデルの推定
メンデルの実験のまとめ
顕性
子が親のいずれか一方の形質を表すこと
顕性の形質
対立形質を持つ純系どうしをかけ合わせたとき、子に現れる形質
潜性の形質
対立形質を持つ純系どうしをかけ合わせたとき、子に現れない形質
分離の法則
生殖細胞ができるとき、対になっている遺伝子が分かれて別々の生殖細胞に入ること
DNA
遺伝子の本体(デオキシリボ核酸)
進化
進化
生物が長い年月をかけて代を重ねる間に変化すること。(例)えら→肺、ひれ→足、水中→陸上
相同器官
形やはたらきが違っていても、もとは同じ器官だったと考えられるもの。(例)ハトの羽、クジラのヒレ、ヒトの手
相似器官
異なる器官だか、形やはたらきが似ているもの。
進化の証拠
始祖鳥
は虫類と鳥類の両方の特徴をもつ。
シーラカンス
魚類と両生類の両方の特徴をもつ。
ハイギョ
魚類と両生類の両方の特徴をもつ。
カモノハシ
鳥類とほ乳類の両方の特徴をもつ。
様々な進化論
- 用不用説…ラマルク、使わないものは発達し、使わなければ退化する。(例)キリンの首
- 跳躍説…ゴールドシュミット、突然変異説。は虫類の卵からある日、鳥類が生まれたという考え方。
- 自然選択説…ダーウィン、ウォレス、(例)フィンチのくちばし、工業暗化の蛾
チャールズ・ダーウィン(1809〜1882年)
22歳のとき、博物学者としてイギリスの測量艦ビーグル号に乗り、5年をかけて世界一周をして生物の多様性について興味をもちました。ガラパゴス諸島では、6週間にわたり生物の観察や採集などを行いました。帰国後、20年の研究の後、その成果を「種の起源」という本にまとめて出版し、進化論をとなえました。当時は宗教的な理由もあり、反対する人も多かったですが、現在は広く認められています。